人間関係、仕事などあらゆる不快なことに対して「まあ、こんなもんだよね~」というお客様(Aさん)のお話。
これまで諦めて、自分がなんとかするしかないで生きてきた。
そして、なんとかできてしまうAさんは他の人の分も背負ってしまう…
そして口癖のように繰り返される言葉。
「こんなもの」と諦めるのはいつから始まったのだろう?
Aさんは昔からという感覚はあるけど、いつからかわからない。
すると「髪を一つ縛りに結んだ小さな女の子が斜め上を眺めている」の映像がみえたセラピスト。
Aさんに話によると「母がいつも二つ縛りにしてくれていたが、母が結べない時に自分で結んでいたというのがその一つ縛りだ」と。
Aさんには6歳下に妹がいて、母がその妹のことで精一杯だった。さらに一つのことにのめり込む母。そのため、Aさんは妹が小さいし、「こんなもの」と思い、一人、外で遊んでいた。すると近所の人が遊んでくれたので楽しかったという。
そこへ、お客様と一体となっているセラピストに情報が入ってきた。「状況がわかっていたので仕方がないこと、こんなものと諦めざるを得なかった。でも、寂しいし、悲しかった」と。
Aさんにそれを伝えると、これまで蓋をしていた「構ってもらえず、本当に寂しいし、悲しかった。母の手が必要だったのに…。近所の人との遊びでは満たされなかった」という思いが溢れ出し、涙が…
母はきっと精一杯だったのでしょう…
でも、当時のAさんは自分の母以外は知らないから、それが当たり前だという認識。
しかし、現実には母としての関わり方は様々。
例えば、すぐには対応できない場合、「○○の後にするから待っててね」
対応が出来ない場合「○○(子どもの要求)したいけど、お母さん、疲れちゃってて、今日はお父さんにしてもらってくれる?(自分でしてくれる?)」
待っててくれたり、協力してくれた子どもには「待っててくれてありがとね」「協力してくれてありがとね」
といったような対応をしてもらえてたなら、どうでしょう?
大事なのは要求を満たすことではない。満たせないことだってある。そんな時、どう対応するかが大事。
今のAさんにはそれがわかる。
もしもこのような対応をしてもらえていたなら、きっと「こんなもの」と諦めることはなかったことでしょう…
そこで、幼少期のAさんを癒し、「こんなもの」という諦めで生きることを手放しました。
するとAさんは天真爛漫でのびのびしていて、必要な時に協力を求め、余裕がある本来の在り方へと変化。
さらに上半身も軽くなるなど、身体的な改善も感じられるように。
このように自由になり、身軽になったAさん。
誰でも「こんなもの」と諦めで生きることを手放し、本来の在り方を取り戻すことが可能です。
「こんなもの」と諦めで生きることを手放した時、あなたはどう在るのでしょう?
そして、どんな毎日を過ごしているでしょうか?
ハピラボでは「こんなもの」と諦めで生きることから解放するサポートをしています。
あなたも「こんなもの」と諦めで生きるのはお終いにし、望みを叶えていきませんか?